ひじおりの灯2009フィールドノート
text=宮本武典 photo=瀬野広美
. 〈客観視〉の器としての肘折
『肘折温泉プロジェクト』(注1)は現代アートの文脈において特筆すべき前衛性は有していない。しかしその発生の動機と、集落との結びつきの仕方において、他の地域の〈アートによる地域再生〉のプロセスとは異なる径路を辿っていると感じている。
その独自性を支えるのはプロジェクトを主導する二人の民俗学者の地域へのまなざしである。肘折を舞台とする一連のプロジェクトは、『東北学』(注2)の提唱者で東北文化研究センター所長の赤坂憲雄を最大の推進力としている。また、大蔵村在住の舞踏家で〈身体民俗学〉を標榜する同センター教授・森繁哉(注3)は、長年にわたる民俗調査を通して、すでに肘折をはじめ最上地方全域にネットワークを構築していた。
プロジェクトが構想段階だった頃、森は私に、「もう社会学者や民俗学者による調査活動だけでは、中山間地域の過疎化や廃村・廃校の流れは止められない。失われていく地域文化を再興するには、ため息ばかりに埋め尽くされつつある聞き書き行為だけではなく、もっとあたらしい祝祭を共有する空間やネットワークの構築が必要だ」と危機感を訴えていた。いにしえの湯治場・肘折(注4)は、山形の美術大学で奇しくも構想され組織された赤坂東北学の、いわばアートによる実践編のフィールドとして指名されたというわけだ。
その最初のアクションとして、2007年にささやかな狼煙のようにはじまった灯籠プロジェクト『ひじおりの灯』(注5)は、昨年の夏に3回目の点灯を迎えた。霊峰・月山の麓にある小さな湯治場に、今年も地域の人々とともに吊るされた灯籠の連なり— プロジェクトリーダーの赤坂は、日本画家の三瀬夏之介が描いた灯籠絵に触発されて、今回はじめて『ひじおりの灯』を「周囲の山々が〈衝立て〉のように平面化し、屏風絵さながらに連結して円を結んでいるように」感じられたという。
つまり、8面体の灯籠『ひじおりの灯』は、40ワットの電球に炙られた地域の絵物語としてだけではなく、それ自体が外輪山に囲まれたこの慎ましい集落そのものの、ある種のミニチュアとして知覚されたというのだ。
2008年の秋に肘折で開催されたシンポジウムの席上で、赤坂は「肘折を舞台にした私たちのプロジェクトは、最終的にこの地に生きる人々にとっての〈自分探しの旅〉につながっていってほしい」と語っていた。その発言を先述の屏風絵のイメージに重ねると、温泉街の闇のなかで灯る『ひじおりの灯』を、肘折の人々が凝視するとき、彼らは同時に自分自身が生きている生活世界を外側から眺めていることになる…。
いささか複雑な認識法ではあるが、昨年の点灯終了後には、その発言を裏付けるかのように、これまで一定の距離を保って学生たちの活動を見ていた地元青年団のメンバーから「来年はぜひ私たちも灯籠絵を描きたい」と声があがった。受け入れ側だった地域社会が、自ら表現への意欲を表明したのである。『ひじおりの灯』の初期プログラムは、継続可能な地域学習のための教育ツールとしてデザインされていたが、その運営の主体が肘折の人々の手に委ねられるにしたがって、彼ら自身が地域社会で受け継いできた過去と現在を見つめ直す〈客観視〉の器として、あらたな機能を持ちはじめている。
その移行は、単に運営の主体が大学から地域社会に手渡されるというレヴェルを超えて、他者のまなざしが記録した固有の生活文化が、生活者自らによって再発見・再生産されるという自己発見の伝播と循環につながっている。これは『ひじおりの灯』の継続が地域にもたらした大きな成果といえるだろう。
. 村の〈経験知〉をどのように受けとるか?
肘折温泉プロジェクトは、大学と地域社会の恊働事業である性質上、教育実践としての効果性も重視してきた。参加する学生たちにとって、『ひじおりの灯』は単位が保証されない純粋なボランティア活動なのだが、私たちは灯籠絵の制作者に、実際に絵筆を動かす前のある種の通過儀礼として、肘折での数日間の合宿を課している。
肘折に到着すると、学生はまず民俗調査の手法に倣って、それぞれが宿泊する旅館の主人などを対象に〈聞き書き〉を行わなければならない。洋画や日本画の学生たちは元来の口下手が多いのだが、ここでは〈表現者〉である前に〈聞き手〉あるいは〈記録者〉としての意識が求められる。
温泉街の風景やモノなど視覚として捉えられる事象を単純になぞるように描くのではなく、この地に暮らす生身の人間に蓄えられた知恵や自然観から、地域固有の生活文化を掘り起こしていくプロセスが重要なのだ。
学生たちが取材ノートを携えてめぐり歩く肘折は、約1万年前に起こった火山爆発が形成したカルデラの〈巨大なすり鉢〉のような地形の底にある。その湯治場としての歴史は古く、開湯1200年余。肘折はその長い歴史を日本有数の豪雪に耐えて重ねてきた。
周囲の集落が閉鎖的な農的共同体であるのに対して、肘折の人々は、近隣農村からの湯治客、月山信仰の修験者、近代では銅山の鉱夫たちなど〈外〉の人を受け入れてきた経緯もあり、外輪山に囲まれた小さな世界を生きながらも比較的ひらけた気質をもっている。開湯伝説をはじめ、大蛇退治や狐火などの奇譚も多く残されていることから、険しい山々や豪雪に閉ざされているからこそ、〈外〉への想像力の回路は常に開かれていたことが窺える。
そして厳しい自然を生き抜くためにカルデラ盆地に蓄えられた豊富な経験知は、湯を中心にした堅牢な共同体をつくりあげてきた。いま、多くの村々が急速に限界集落化していくなかで、その共同体意識を基盤とする〈山に暮らす民〉としてアイデンティティは、旅館や商店の若者たちにも着実に受け継がれている。
地域に入っていった学生たちは、そうした湯と人と自然が混然一体となって形づくられる肘折特有の親和性に触れながら、次第に聞き書きに熱中していく。
合宿中に、洋画を専攻する女子学生の取材現場を訪ねたときのこと。一人の老人が台所につながる薄暗い居間の床に山菜を山積みして、長期保存のための下処理をしながら昔語りをしていた。彼女はその傍らに座ってすいぶん長いあいだ熱心に話を聞いている様子だった。手元のスケッチブックを見せてもらうと、老人のトータルな体験知のありようが、周囲の環境をも含めた一つの宇宙のように、絵とテクストによって見事に図式化されていた。
また取材の受け手となる肘折の人々も、毎年の学生の来訪を楽しみにしており、「良い灯籠絵を描いてもらおう」と、その語り口は年々饒舌になっているようだ。夜になると『報告会』と称して、住民を交えた恒例の大宴会が繰りひろげられるのだが、そこで披露される学生たちのフィールドノートは、私にとっても毎回あたらしい発見や気付きを与えてくれるものだ。
学生たちが集めてくる集落に生きる人々の誇りや喜び、また悩みや戸惑いは、そうした場でプロジェクトに参加するメンバー全員に共有され、それが灯籠絵制作へのモチベーションにつながっていくのである。普段は大学のアトリエで「自分とは何か? アートとは何か? オリジナリティーとは何か?」と、時代の病ともいえる内省の旅にしか、表現の動機を見出せない学生たちもまた、この地に凝縮された人間のトータルな生き様を客観視することを通して、あるいは作品を届ける具体的な他者(=肘折の人々)をイメージすることで充足感を得ているのだ。
一方で、学生たちが地域と深くコミットしていくことであらたな課題も生まれている。先述の山菜採りの老人を熱心に取材していた学生が描いた灯籠絵は、その客観的な分析図とは似ても似つかない凡庸な温泉街の風景だった。また、地域の人々から、あまりに具体的なオーダーを聞いてしまったが故に、その期待に応える技量のなさに打ちのめされ、筆が止まってしまう者も出てきた。
つまり、私たちが教育現場で語っている〈アート〉の文脈は、サイトスペシフィックな意味で作品を成立させることはできても、生身の人間の身体に蓄積された生活文化や経験知に拮抗しうるほどには成熟していないのだ。
しかも、村人との対話のなかには、過疎化による学校の統廃合など、中山間地域に重くのしかかる現実も否応なく挟み込まれていく。当然、学生たちは、自分の志向する華やかでコンテンポラリーなアートの世界と、ノートに自らが記録した同時代の現実の間で葛藤することになる。
こうした状況を受けて、私たち教員はアーティストが地域に関わる際の〈責任〉のあり方や、制作プロセスにおける聞き書きの比重について議論を重ねている。
「大学は大衆化すべきでない」「アートに即効性を求めるべきでない」という考えもあれば、「現実のリアリティーから乖離して良いのか?」という意見もあり、結論はなかなか見出せない。だが、両者の拮抗の経験なくして、肘折のような地域に大学やアートが継続的かつ生産的に関わっていくことなど到底できないだろう。
. 〈大学〉が小さな地域によって変えられていく
民俗学者との恊働によって、学生たちの創作活動は比較的スムーズに地域に受け入れられていったが、その反面、「アートが村落に深く関わりながら、その再生産に寄与していくことは可能か?」という困難な問題意識を、プロジェクトはその動機の根幹に抱え込んできた。
その問いに対応するように、肘折温泉プロジェクトは現在、アートだけでなく、建築、ドキュメンタリー映画(注6)、湯治文化研究、環境調査、ウェブサイトや特産物の企画開発・デザインなど、その表現領域の枝葉をどんどんひろげている。
プロジェクトごとに学内で教員・学生・事務局のチームが組織され、地域の実態や要望に適応しながら、手探りでトライ・アンド・エラーをくり返している。東北芸術工科大学では、過去をさかのぼっても、このようにある特定の地域に長期にわたって多様かつ大勢の知的営為が投入されたことはない。
赤坂や森のような民俗学者だけでなく、大学で教壇に立つアーティスト、建築家、グラフィックデザイナー、工芸家、郷土史家など多様な領域の専門家が、それぞれの学科の垣根を越えてゼミ生とともにプロジェクトに参画し、肘折を一つの公益的な共同研究の場として活用している。その一つひとつの実践の成果を紹介するには、本誌で与えられている紙面ではとても足りない。肘折のような小さな村落が、ユニヴァーシティ(総合知)としての〈大学〉の本分を揺さぶり逆に活性化させている様は痛快である。
そもそも東北芸術工科大学は、バブル崩壊の直前に地域社会の要請によって建てられた半公設の芸術大学としてスタートしている。芸術教育に〈工科〉のもつイノベーションの響きを保証する態度は、バブル期の都市の絶頂を地方から眩しく眺めながら、その拡大・拡張の恩恵を、主に産業デザインや都市設計の分野で_享受しようとする意図が見え隠れする。
だが現状はどうだろうか。短命に終った安倍内閣が多用したためか、〈イノベーション〉は既に死語化し、バブル崩壊以降、日本社会は出口の見えない不況のなかであえぎ続けている。そして地方の農漁村はその前からずっと変わることなく周縁化され続けており、近年ではさらに過疎化―廃校―離村―廃村と、疲弊の加速度は増している。
学生たちが肘折で出会ったような、かつて村々が堅持していた豊穣な体験知は既に失われてしまったか、継承の断絶に直面している。里山が、学校が、村々が、急速に、音もなく消えていこうとしているいまこそ、東北に根ざした高等教育・研究機関としての大学の真価が静かに問われているのだ。
しかし大学のほうでも、いよいよ本格的に到来した少子化による全入時代の激流のなかで、国立私立の区別なく限られた18才人口のパイを奪い合うサヴァイバルに突入した。生き残るためには、学内に蓄積された研究成果を周辺地域に開いていく創造的なアイデアをどんどん実践していきながらも、他方では、実生活に役に立たなさそうであってもアートやデザインの知的営為を深化させていかなければならない。
そんなとき、足元に目を向ければ、肘折をはじめとする東北の村落には数100年にわたって雪深い土地を拓き、村を築き、自然と共生する生活や共同体系を構築してきた人々の叡智が凝縮している。私たちの大学は山形に建設されたが故に、それを恩恵のように受けとりながら、民俗学や人類学を基盤とするあたらしいアートの文脈を、足元に流れる地下水脈を掘り当てるようにしてつくっていくことが可能だ。
それが『ひじおりの灯』のように同時に村を元気にしたり、人々が地域で生きていく誇りを喚起させる風景の現出につながったなら、どんなに幸いだろうか―私は肘折温泉プロジェクトを、そのように大学と地域がこの困難な時代を、賢明なる生活者として互いに手を携えて乗り越えていく一種の共同体生成の萌芽として捉えている。
●Events
- ◯『肘折絵語り・夜語り』
- 日時=7月20日[月・祝]
- 17:30→21:30
- 会場=肘折温泉街
- 案内人=赤坂憲雄、あがた森魚、宮本武典
- ◯『〈湯の里ひじおり〉上映会』
- 日時=8月19日[水]
- 19:00→21:00
- 会場=いでゆ館ホール
- 監督=渡辺智史
- ◯『お茶道楽 2009 in HIJIORI』
- 日時=7月12→21日
- 会場=旧肘折郵便局舎前
- 出張営業=出張お茶サービス社
- (渡辺秀明)
- ◯『棚田ほたる火コンサート』
- 開催日=8月1日[土]
- 点灯=17:30→19:00
- 会場=四ヶ村の棚田
- (大蔵村大字南山)
- 注1 肘折温泉プロジェクト
- 肘折温泉開湯1200年を迎えた、2007年始動のプロジェクト。「伝統ある湯治場の魅力を百年後の子どもたちに継承する」ことを目的として、温泉文化と創作活動の融合による「現代版・湯治」の創出を目指す取り組み。主な活動として、芸術家を地域に招き制作活動を支援する『アーティスト・イン・レジデンス』、本学学生や卒業生の若手芸術家が温泉街に長期滞在し、肘折の風物をテーマに作品制作を行う『肘折温泉逗留芸術家』など、肘折温泉をまるごと美術館にしようという様々な取り組みがなされている。また、旧郵便局舎を改造した『ギャラリー肘折』でのアートイベントや、アーティストが講師となるワークショップなども開講している。
- 注2 東北学
- 日本思想史を専攻とする、赤坂憲雄(同大学東北文化研究センター所長、福島県立博物館館長)が提唱した学術的な研究方法、およびその呼称。東北一円を「聞き書き」のフィールドとして、土地に埋もれた記憶を掘り起こし、地域遺産として育てていくことを主な目的としている。1999年に拠点となる東北文化研究センターを設立し、同年『東北学』(作品社)を創刊。2004年には季刊『東北学』(柏書房)の刊行が開始され、『津軽学』、『盛岡学』、『村山学』、『会津学』、『仙台学』の5誌が、それぞれの地域の編集社より刊行されている。
- 注3 森繁哉(もりしげや)
- 1947年山形県大蔵村生まれ。クラシックバレエ、スペインダンス等を習得後、現代舞踊の道へ。現在、東北芸術工科大学教授・同大学こども芸術大学副校長。現代舞踊家・民俗学者。『水の踊り』『庭、バリエーションズ』など、多数数多くの舞台作品の他、道路での表現活動『第一次』『第二次道路劇場』を経て、出羽三山山中で『千の行』を展開。こうした活動の様子がフランス、アメリカのCNNの特集に取り上げられ、日本を代表する舞踏家の一人として知られる。地元大蔵村で舞踏集団「里山ダンス事務所」を構成する村人たちと「すすき野シアター」「南山夜学校」を運営。大地の芸術祭−越後妻有アートトリエンナーレ2006−では『越後妻有芸能プロジェクト』を担当する。「身体民族学」という独自の理論を構築。著書:『踊る日記』(新宿書房)。インタークロス賞、山形県社会文化賞、NHK東北ふるさと賞などを受賞。
- 注4 肘折温泉(ひじおりおんせん)
- 山形県最上郡大蔵村にある温泉。肘折カルデラと呼ばれる直径2キロメートルのカルデラの東端に位置し、黄金温泉、最奥部の秘湯石抱温泉などとともに肘折温泉郷を形成している。肘折温泉は、およそ1200年前の大同2(807)年に開かれたといわれ、農作業の疲れを癒し、骨折や傷、神経などに効く湯治場として全国的に知られている。月山のふもと、銅山川沿いに旅館が立ち並び、江戸時代には月山をはじめとする出羽三山への参道口として多くの参詣客を集めた。
- 注5 ひじおりの灯
- 2007年より本学が推進する東北ルネサンスプロジェクトの地域活性化モデル事業として、学生たちが肘折地区からの要請を受けて灯籠を制作するアートイベント。学生たちはそれぞれ旅館に分宿し、温泉街を歩きイメージを膨らませ、地産地消にこだわって作られた8角の灯籠に思い思いの作品を制作する。2008年度からは、内閣府の『地方の元気再生事業』に採択され、行政からの支援を受けて初年度より規模を拡大して開催。肘折温泉の修験の火祭りの時期にあわせて、温泉街の目抜き通りに立ち並ぶ旅館の軒先に設置され、湯治場の夜を幻想的にライトアップした。点灯期間中には、作者による作品解説トークリレー「肘折絵語り・夜語り」が行われている。
- 注6 湯の里ひじおり―学校のある最後の一年
- 山形県大蔵村の肘折温泉を舞台に、湯治客がゆっくりと時を過ごす山間の温泉地の光景と、その一方で村の抱える少子高齢化の問題を描いたドキュメンタリー。134年間地域の拠点となってきた肘折小中学校の閉校に肩を落とす住民たちが、この地への誇りを再び取り戻す姿を間近でとらえる。学校で使われなくなった楽器でブラスバンドを組もうという大蔵村の青年団の呼び掛けに、卒業生たちが集まってくる。時代が変わっても地域の文化は受け継つがれ、若者達の地域への強い思いによって再生へと繋がっていく、「老いと再生」の物語。監督渡辺智史。2009年制作(製作・配給アムール、パンドラ)。